偲ぶ心


朝の太陽礼拝を続けて一か月近く経った。
身体に姿勢筋が付いてだいぶ安定してきた。

終わった直後は躰が一回り小さくなったような、重心の低い安定感がある。
足が地に吸い付くようなという表現があるが、まさに倒れない重さのある吸着感を足裏に感じる。

昔、目黒公園で格闘家の山本KIDに会った事を思い出す。
子供と二人、恐ろしくレベルの高い鬼ごっこを繰り広げていた。

ほとんど子供と同じ目線の高さの重心を保ち、触れられる直前まで相手を引き付け、数センチの見切りで闘牛士のようにヒラリと躱す。
風に翻る木の葉のように自由に芝生を駆る、生き生きとした美しさだった。

彼は惜しくも亡くなってしまったが、あの流れるような姿勢の安定感は鮮明に覚えている。
魂は心や躰に現れる。

彼と少し話したが、私は彼の人間性も好きだった。
近年地球に来るスターチャイルド等と同様に、軽やかで清々しい方だった。

いい奴から去って行くのは忍びない。
卒業してしまう彼等を見送る私達には、きっとまだ学ぶべきことが多いのだろう。

過去に何らかの嘆きを持つ者は、今現在の自分の在り方を、悔いの無いよう開いていることでしか、中心を保つ術はないのではないかと思う。
心を開いて、ただ愛に近い自分でいることが、過去も未来も全てを此処から肯定する唯一の方法なのではと。

愛は人や物事の最上の質を見ること。
一人でいる時と同じように、ただ常にそうあれたらと願う。







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