今夜は睦月の終わり、如月の始まり。
新月の晩に焚き火をする。
焚き火の本番は熾(おき)になってからだ。
不純物が消え去った透明に清んだ火。
穏やかで円やかな音のない焔を、最後まで見ている時間。
熾という字の中には音がある。
火の音を識ると書くのは興味深い。
確かに良く聴くと、静けさの中に炭の鳴る音を聴き分けることが出来る。
パチパチともカリカリとも違う、石と木の間にあるやわらかくて澄んだ音。
生き物のやわらかさと鉱物の透明さの間にある声。
静けさの音を聴けるようになっているときの自分の状態が好きだ。
虫の声、山のうなり、渡る風、低い海の轟き、星の鳴る音。
包まれている音の波紋の数を数えるとき、人は自身の境界が薄くなる。
自然の中で、思考のない部分の交流が始まる。
内と外の境が薄いとき、人は透明な音を聴くことができる。
それは聞こえない音ではなく、聴こうとしなければ聴こえない声。
例えば流星の音を聞いたことがあるだろうか?
かつて交流のあったある天文家が教えてくれたことだ。
流星は光と共に強力な電磁波を出すことがあるため、人の髪を震わせて音を作ることがあるという。
以来、流星の音はずっと探しているものの一つだが、私は未だ聞いたことがない。
だけれど知らなければ聴こえない音、見えないものというものはきっとあるのだろう。
触れられるものと触れ得ないものの境目は淡く、水面のように揺蕩いながら上下する。
何かを垣間見る瞬間というのは、決まって不意に訪れる。
そしてそれはこういう時のない静けさを伴いながらやって来る。
空間を小さく満たす炭の音。
新月の暗さに浮かぶ星の漣。
透明な夜の底で、何かを待っている。
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