今朝の空気は、いつもより流れが速い。
波が岩にぶつかり、ぶつかったはずなのに、そのまま乗り越えてしまう——そんな勢いを感じる朝でした。自分が「障害」だと思っていたものが、実は次の地平へ渡るための踏み石だったと気づかされるような転換点です。
この感覚を、生命の進化にたとえてみます。
最初の魚類が、嵐の大波で陸へ打ち上げられた瞬間。あれは努力して上がったのではなく、外側へ“放り出されてしまった”出来事だったはずです。けれど、その偶発性こそが、ステージを変える進化を起こした。環境の中にいる存在は、その環境(フレーム)そのものを認識できません。水中の魚は水を知らず、空気中の私たちは空気を意識しない。外へ出て初めて、内側を客観視できる。
ここで言いたいのは、「適応」と「進化」は別だということ。
くちばしの形が環境に合わせて変わるような変化は、確かに生存戦略として重要だけれど、それは同じステージの中での最適化=適応に近い。進化とは、海から陸へ、陸から空へ、というように、活動するステージそのものが変わること。つまり、フレームが変わることです。
人間にとって、そのフレームの正体は「エゴ」だと思います。
エゴを自分だと信じている限り、そこから外に出られない。思考で自分を正したり、状況を改善したりするのは、同じフロアの中での対処であって、根源的な飛躍には届きにくい。けれど、何かの拍子にフレームの外へ出てしまうことがある。事故のように見える出来事が、実は進化の入口になることがある。
この意識のプロセスを、僕は「輪廻」と「転生」という言葉で説明しました。
同じフロアでぐるぐる回りながら、避けたり、解決したり、乗り越えたり——思考で対処し続けるのが輪廻(適応)。一方で、人間の意識はトーラス(螺旋)構造のように、円周の両極(明暗・陰陽・振幅の幅)を経験しきったとき、初めて「真ん中」に触れられる。そして、その中心軸に入ったときに、上昇が起こる。フロアが変わる。視座が変わる。バイブレーションが変わる。これが転生(進化)です。
転生は、死後だけの話ではありません。
人は生きている間にも「生まれ変わったみたいだ」と言う。実際、時間は連続ではなく、点のように切り替わっている——その一瞬一瞬が、上昇を伴えば転生になり得る。昨日の延長としての私ではなく、この瞬間に切り替わった私として、別の位相に立つことができる。
そして今、このタイミングが重要です。
今日から水星逆行が始まり、春分点近くまでの2〜3週間は、転調のように位相が変わっていく期間になる。ここで求められるのは、外側を整えること以上に、「心の最奥」に潜り、確信を掴んで戻ってくること。過去を統合し、新しい螺旋へ一段昇華して入っていくための節目です。
このプロセスは人によって、いったん沈むように感じるかもしれません。
でも、上昇の波を生むには、反対側のベクトルが必要です。光を見るために、光ではないものが必要になる。振幅のコントラストを深く味わうことが、可能性の全体を体験することにつながっていく。魂が地球に来た理由が「あらゆる可能性を味わうこと」だとするなら、この振幅の深まりは、進化の準備でもある。
フレームが剥がれる体験は、エゴにとっては恐怖です。
水を失った魚が混乱するように、拠り所がなくなると、人は揺れます。けれど本当は、エゴがなくても命は続く。守ってきた鎧やペルソナが剥がれ落ちたときに残るのは、「ただ在る」という存在です。そのままの存在としてくつろげるようになったとき、戦いではなく安らぎの中で生きられる。宇宙と仲良くなれる。野の花が静かに咲くように、生きることができる。
だから、この時期に大切なのは——
備えすぎないこと。頑張りすぎないこと。
ただ、飛び込んで、いちばん深いところまで味わって、戻ってくること。
それが叶ったとき、気づいたら私たちは、もう別の生き物として陸を歩いている。あるいは、空を滑空する視座を手にしている。
人間の翼は、肉体の翼ではなく、エゴを超えた先の無限につながる意識です。
霊長とは、霊的進化に向き合う使命を持つ存在だという意味で、意識進化の最先端に立っている。スピリチュアリティとは行法ではなく、生き方そのもの。命の本質を知ろうとする営みです。
戦いとしての人生をほどき、くつろぎの中で世界を慈しめるとき、
魂は本来の方向へ戻っていく。
そして次の地平へ、自然に進んでいける。
今日も、皆さんにとって美しい一日となりますように。
-2月26日 ピアノ予報より-
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