屋久島は雨。
気づけば午前中があっという間に過ぎていくなかで、今朝ふと、ハイビスカスが咲き始めているのに気づきました。
ああ、冬が終わったんだ。島では一足早く、季節が切り替わったようです。眠っていたものが動き出し、命の巡りの力が、静かに戻ってきている。
春のはじまりは、派手な号令ではなく、密度の変化としてやってきます。
ふわふわしていたエネルギーが、少しずつ大地に近づいていく。光を帯びて、ひとつひとつの命に浸透していく。湿度のように、肌の奥へ深く入り込んでくる「粒の細かさ」。
変わり目に生まれる新しい力は、表面ではなく底の方から、全体の質を変えていく。極微のレイヤーが、静かに重なっていく感じがします。
実は昔から、季節を決めている“素粒子的な何か”があるんじゃないかと思っています。
仮にそれを「夏のもと」「冬のもと」として、夏素、冬素と呼ぶとします。
世界は名付けられるほど区切られてなくて、濃淡や粗密のグラデーションでできていて、その振幅が季節の肌触りを作っている。そういう感覚があります。
日本人の感受性はもともと、そのグラデーションを丁寧に拾ってきた文化です。
鶯色、若草色。同じ黄緑の中にもいくつもの層があることを知っていて、それぞれに名前を与えてきた。
そして二十四節気があるように、2週間ごとの季節の変化さえ、ちゃんと感じてきた民族だった。
この「波」を感じ取れると、いま自分たちが全体の中のどこにいるのか——太陽と地球の関係、宇宙の中での位置まで含めて、もう少し大きな視野で掴めるようになる気がします。
本来、人間の感覚は驚くほど精緻です。
五感と言うけれど、実際はもっと多い。36感くらいあるそうです。
髪の毛一本を逆向きに撫でるのと順向きに撫でるのでは、指の腹が違いをちゃんと感じ分ける。ミクロン単位の毛羽立ちを、身体は知覚している。
雨の匂いだってそう。遠く離れた場所の、わずかな粒子を人は感じ取れるらしい。
マインドが優位になりすぎた現代の私たちは、天気予報の情報をそのまま信じて、感じる前に準備して出かけてしまう。
もちろん忙しいし、効率も必要だけれど、その代わりに失っているものの大きさに、僕らはあまりにも無頓着かもしれない。取り戻す前に、失ったことすら気づけない——そんな鈍化が起きている。
でも今、流れが変わってきています。
季節の微細な変化を捉える力は、そのまま「自分の内側を見る力」につながっている。
自分の中心は常に「ここ」にあって、それは自分自身の宇宙の中心でもある。
自分の中心と宇宙の中心は同じもの。
内と外が反転するような体験を一度してしまうと、世界の成り立ちと自分の成り立ちが、実は同じ構造だったと気づいてしまう。宇宙は、自分という窓口を通して世界に触れている——そんな感覚です。クラインの壺のイメージも、その相似をよく表していると思います。
これからの時間の流れは、直線的ではありません。
「出来事」が進むというより、密度や振動数そのものが、重層的に、立体的に変わっていく。
だからこそ、どんな形でもいいから、自分の軸を定めておくことが大事になります。
その軸に居られるほど、私たちは「ありのままに直接体験する」方向へ開かれていく。第六感のような、通常の知覚を超えた受け取り方に気づく人も、ここから増えていくはずです。
時期としては、2月からもう始まっていて、3月から9月くらいまでが一つの大きな波。
この半年で、地上のいろいろなバランスが最適化されていくフェーズに入るでしょう。
この振幅の中で必要なのは、頭で理解することではなく、身体そのものを楽器として使うこと。
バイブレーションは心や頭ではなく、肌や腹、細胞の共振・共鳴として起こります。人間の「共鳴弦」は体そのものにあって、どこかで“うっすら聞こえている宇宙の音”を、私たちは本当は知覚している。
言語化は難しいけれど、丁寧に開いていけば、次の波に同調して乗っていける。
都市生活やマインド優位の生活では、この領域は置き去りになりがちです。
でも今、振り子は戻り始めている。
自然の多いところへ行きたくなる。今まで興味がなかったことに急に惹かれる。
それは感覚を「より細やかな方向へ開く」ための動きで、神経系を含む身体性の回復でもあります。敏感な人は、2月後半からもう動き始めているでしょう。
象徴的だったのは、ハイビスカスの変化です。
昨日までの花は少し小さかった。冬のために備えた形と、そこで使えるリソースの量を反映していた。
でも何かが切り替わって、春の形、春の大きさに変わった。
同じことが、人間の中でも起きていきます。感受性の密度とバランスが変わり、情報としてではなく、意図や振動数——つまり「そこにある気持ち」を受け取るようになっていく。
その結果、余分な条件づけがふるいにかけられて落ちていきます。
守るために身につけてきた重たいもの、余計な情報、余計な思い。
それが剥がれていくほど、真ん中にあるものがむき出しになっていく。
そして私たちは、透明で美しい中心の振動数——イノセンスへ戻っていく。
それは「殻のむかれたゆで卵」のようです。
ついに、内側のつるんとした部分がさらされて、世界とつながり始める。
だからこそ、丁寧に扱ってほしい。
自分を大切に扱うように、誰かのことも丁寧に扱ってほしい。
社会がその方向へ向かうとき、これまで周縁に押しやられてきた、子どもたち、弱い人々、感受性の強い人々が、実はそれを支えていたことにも気がついていくでしょう。
新しい場所は、いまよりもっと鮮やかで、粒が細かい世界になります。
そこでこそ呼吸しやすい人々がいます。植物や動物、精霊、自然に近い感受性で生きる人々です。
見えないからこそ、感じ取られず、押しやられてきた“マージナル(周縁)”な場所にこそ、次の世界への出口がある。
中心を取り戻し、内側にあったものを外側へ広げ、世界とのバランスをつなぎ直す。天国を地上に降ろす——天を地にあらしめる——そんな時間へ、僕らは入っていくのだと思います。
これは数ヶ月で終わる話ではなく、何年もかけて進む「時代の流れ」です。
だから今日、ほんの少しでいい。
季節の密度が変わるその瞬間を、肌で感じ取る時間を取ってみてください。
細やかで、美しい一日を。
喜びあふれた良き一日となりますように。
- 2月27日 ピアノ予報より -

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