友人が紹介していたので、読んでみた。
理由はないのだけど、この蛇の気持ちがとても分かった。
春の陽だまりのような、優しい、そして切なさと痛みと慈愛に満ちた、あの気持ちを、なぜだか私はよく知っている。
あぁ、蛇は幸せだったろうな。神様にさえ理解されなくても、きっと、全て受け入れていたのだろうな。
何かのために強く生きられるなら、何かのために生命を投げ出す自由だってあっていい。自分を超えた大きくて大切なものに出会ったとき、生き物はこういう想いを抱けるのかもしれないと思った。
大好きな童話、シルヴァスタインの「おおきな木」にも似たお話。
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ずっと昔、ヘビは今のような姿じゃなかったんです。ヘビには手も足もありました。美しい長いたてがみもありましたし、しなやかな尻尾も持っていました。巻貝のような耳も、黒く濡れた瞳も持っていました。太陽を浴びると輝く金色の毛皮も、薔薇のつぼみのような白い乳房も持っていました。指先にはつややかで鋭い爪を持っていました。少しは人間に似ていたかもしれませんが、群青色の翼も持っていました。ヘビはいろいろな生き物の美しいところをたくさん持っていたんです。
ヘビはとても欲張りで、神様がこの世の生き物を作るとき、できるだけたくさんのものをくださいって頼んだんです。神様は気前よくヘビのいうことをきいてやりました。何と言ってもこれから世界が始まるというときですから、なるべく皆がしあわせになることを神様は望まれたんでしょうね。でもヘビは、欲しいものを全部貰ったはずなのに、それほど幸せだと思っていませんでした。たぶんあまりたくさんのものを持っていると、わからなくなってしまうんでしょうね。自分がヘビだっていうことがです。
ある日、ヘビはひとりの猟師に会いました。若くて美しい猟師でした。ヘビはその猟師が好きになり、猟師が貧しいことを知ると、自分のたてがみを切り落としてプレゼントしました。猟師はとても喜びました。でもしばらくするとたてがみを売ったお金はなくなって、また猟師はお腹をすかすようになったのです。ヘビは今度は、自分の尻尾を切り落としてプレゼントしました。尻尾は素晴らしい毛皮で覆われていましたから、仕立屋が高値で買っていきました。猟師はだんだん、自分からヘビに頼むようになりました。そうしてヘビは、美しい翼も、貝のような耳も、手も足も、乳房まで切り落として、次々と猟師に与えていったのです。
ヘビがとうとう今のような姿になると、猟師はもう、ヘビと会いたがらなくなりました。ヘビは手足のなくなった体で地を這いながら、猟師を追いました。どんなに追い払われてもつきまとうことを止めようとしませんでした。そのうち猟師だけでなく、あらゆる生き物がヘビを嫌うようになりました。神様もお怒りになりました。そこで「おまえはどうして、せっかく私が与えたものを失くしてしまったのか」と厳しい声でお訊ねになりました。するとヘビは言いました。「神様、私はあの人に会って、この世に生まれた喜びを知りました。私は神様からお預かりしていた翼や手足のおかげで、魂を貰うことができたのです。でもどうしてあの人はこの命まで求めてくれなかったのでしょう。私はそれが悲しくてなりません。」それを聞いた神様がどうされたかというと……どうされたと思いますか。
ぼっちゃんは、ヘビの抜け殻を見たことがありますか。神様はこれ以上、命まで投げ出すような愚かなことをさせまいと、猟師を忘れてしまうようおはからいになりました。そして改めて、命をまっとうするのが生き物の掟であると、きつく言い渡されました。ヘビは猟師のことを忘れました。悲しみは消えました。でもあるとき……風のない気持ちのいい日のこと、お日様にあたりながらうつらうつらとしていたヘビは、ふと、自分が昔とても幸福だった、ということを思い出すんです。そして猟師のことは忘れているのに、誰かに何かを与えたい、という気持ちに駆られました。けれど誰も自分を求めてなどいないし、与えるものとてないのです。ヘビはむなしさに身悶えしました。息苦しさから抜け出そうと身をくねらせているうちに、体を覆っていた皮がすっかり剥がれてしまいました。脱いだばかりのその皮を見ていると、ヘビにはまるでそれが以前の、幸福だった頃の自分のように思えてくるのでした。懐かしいような切ないような気持ちになりましたが、胸にぽっかりあいていた穴は埋まったように思われました。
ヘビが抜け殻を残すようになったのは、それからです。たとえば小さな子供が遊んでいて、草叢の中にヘビの抜け殻を見つけるとするでしょう。子供がそれを持ち去ると、ヘビは昔の恋を忘れたまま、ただささやかな捧げものをしたことを喜んでいるんですよ。
―湯本香樹実 『マジック・フルート』
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