よきを見る、欲望から自由になる

 

今日、おこなったセッションの内容がまさにこんな感じでした。

直後に読んだ文章がとてもよくまとまっていたので、せっかくなのでご紹介。

よいものも、わるいものも、それを見る人の瞳の中に。





【よいものを見る、そして欲望から自由になる】 (Oshoの講話より)



 基本的にすべての欲望は人を地面につなぎとめる。あなたが空に飛び立てないようにする。だが、人は空を飛ぶために生まれてきた。人には翼がある。それを使ったことはないかもしれない、それを完全に忘れてさえいるかもしれない。だが、翼は完璧な姿でそこにあって、待っている……あなたが飛び立つのを待っている。



 だからあなたに三つのことを覚えておいてもらいたい。まず一番目のこととして、どんな人のなかにも悪いものを見ないように。まったくよいものを持たない人間などいないからだ。悪魔でさえ、神にふわさしいなにものかを持っている。だから悪魔を「デヴィル」と呼ぶ。その語源は「デヴァイン(神のごとき)」だ。悪魔でさえ、堕落した天使にすぎない。彼は悪魔になるべくして生まれたのではなかった。その本来の運命は違うところにあった。だから第一のこととして、いつもよいものを見るようにしなさい。

 ふつうマインドは悪いものを見つけようとする。欠点、過ち、非難すべき点を見つけようとする。マインドを落としたかったら、ほかの方向に目を向けるべきだ。よいものを見るようにしなさい。そしてあなたが目を向けるものはなんであれ、成長していく。これこそが秘密だ。いつも悪いものばかりに目を向けていると、悪いものに対するあなたのそうした注目そのものが、あなたのなかに悪い印象をつくり上げていく。そうなったら、あなたは、悪いものが目につくようなレベルで生きつづけることになる。よいものを見ているならば、あなた自身がよいものになる。あらゆるものに神聖さを見るならば、あなた自身も神聖になりだす。聖者とは、邪悪なものを見るのをやめた人間だ……。だからまず第一に、いかなるものにも邪悪さを見ないことだ……。「裁くなかれ」というイエスのことばは、そういう意味だ。



 つぎに二番目のこととして、マインドのなかに、よいものと悪いもののどちらかの選択肢があるときには、かならずよいものを選びなさい。マインドはどんな判断もあなたに強制できない。選ぶのはあなただ。マインドにはなんの権限もない。それにできるのはせいぜいのところ、あなたにすべての選択肢を見せることだ。これはよい、これは悪いということに関して、あなたに全体像を見せることだけだ。だが、最終的に選ぶのはいつもあなただ。だから、そこに選択が可能ならば、よいものを選ぶようにしなさい。はじめのうち、それは難しいだろうが。

 邪悪なもの、悪いものを選ぶのは簡単だ。坂を降りるようなもので、ガソリンはいらない。エンジンをかけないでも、車はころがり落ちる。よいものを選ぶのは、坂を登るようなものだ。大量のエネルギーが必要だ。努力と闘いが必要だ。だから、いつも上り坂の苦労を選びなさい。そうすれば人は成長する。それは、瞬間から瞬間へと持続されるべきワークだ。どの瞬間にも選択肢がある。どの瞬間にも決断をせまられている。一度だけ決断してあとは放っておくわけにはいかない。それは持続的なプロセスだ。

 だが、だんだんと、あなたがよいものを選ぶようになるにつれ、あなたはそれをもっと楽しむようになる。選ぶのが不要になる瞬間がくる。あなたはただ、自然に、自発的に、よいものへと向かうようになる。あなたはもう、山の上からの眺望を知っているからだ。もはや誰が、谷間とその暗闇を求めるだろう。



 そして三番目のこととして、よいものが生まれるのは、あなたが落ち着いており、静かで、やすらいでいるときだけだ。それは、よいものが芽をだすための適切な土壌だ。だから、適切な土壌を整えていきなさい。より静かに、より落ち着き、より穏やかになるといい。緊張が生まれつつあるのに気づいたら、その瞬間にくつろぎなさい。緊張は悪の始まりだからだ。西洋では、「空っぽの心(ハート)は悪魔の仕事場」だと言う。実のところ、空っぽの心(ハート)は、神の寺院そのものだ。だが、それはほんとうに空っぽである必要がある。

 だから、もっともっとくつろぐといい。なにかが緊張をもたらしつつあるのに気づいたら、核の周辺に緊張が生まれつつあるのに気づいたら、その瞬間にくつろぎなさい。大きく息を吐いてくつろぎ、そのすべての馬鹿さかげんを笑うといい。しだいにもっと、中心が定まってくるだろう。そしてそれは、よいものが生まれるための適切な土壌となる。









 

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