さっきの日記のはやぶさの記事を書いていて、いくつか思ったことがある。
はやぶさが大気圏に落ちる最後の瞬間に見た風景は地球の姿だったろう。
地球を宇宙から望む風景を思って、なんともいえないような切ない気持ちを思い出したのだ。
見たことはないはずなのに、この景色に見覚えがあるような、その時感じた思いの残照を思い出すような。
多分、見たことがあるのだろう。その時、何かを強く思ったのだろう。
生まれる前にこの星を見て、あるいはそれよりずっと以前にこの星を望んで、感じた思いに触れたのかもしれない。
そして、もう一度、死ぬまでにしてみたいことが増えた。
これまではあまり意識したことがなかったのだけど、死ぬまでに体を持ったまま、この星を外(宇宙)から見てみたい、と思った。
昔、地球一周の船旅に出たときの動機は、「この星の大きさを感じてみたかった」からだ。
そして、それは叶った。この星は大きく、そして小さかった。
何よりも価値のあるものは、それを想う人の心と、そこにある命の連なりなのだとも思った。
今は、もっと感じてみたいと思う。
この地球が一つであるということ。たった一つの惑星で、この星にあるすべてが一体であるということを。
宇宙から地球を眺めた宇宙飛行士が、一様に同じような不思議な体験をするという。
とても神聖な、霊的な思いに駆られるという。
この星を外から眺めるということは、きっととても大きな意識の変容を促してしまうのかもしれない。
多分、今この星に起こっている変容は、そういう意識を普遍化、全体化するための経過なのだろう。
どうしたら、宇宙から地球を眺められるのかな。
一見実現不可能に思えるようなことが、チャレンジとして現れるとわくわくする。
よし必ず行こう。決めた。
とりあえずこの星を大切にしながら、長生きして、あとは生きながら考えよう。
楽しくなってきたぞ~。
ありがとう。

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