年末の挨拶したのになぁ。
朝の瞑想をしていたら、言葉が降りてきたので、今日の観想(テオリア)載せておきますね。
来年からできるだけ毎朝瞑想して、言葉を書きとめておくというのをやろうと思って、フライング気味に開始。
写真は今朝のサボテン先生。
白い小さな蕾がいっぱい。もうすぐ花が咲きます。
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20111231
世界が変わろうとしているときに、抵抗するのはやめなさい。
どんなときも恐れを抱かずに、自分の芯にあるものに従い、真に自分自身で在り続けなさい。
真の自分自身が分からないときは、心を澄ませて、濁った水が清んでいくのをただ見守るように、自分の心を眺め、そこに留まり、感じ続けなさい。
そうすれば、あなたはあなた自身を必ず思い出すだろう。
あなたがあなた自身でなかったことなど、今もこれからも一度たりとも有り得ない。
だから安心してここにいて、自分が世界に存在していることを許しなさい。
あなたは安心してここにいていい。
あなたは望んでここに生まれ、すでに望まれて世界に受け入れられている。
それを自分に許せていないのだとしたら、自分がそれを許していないからだ。
あなたの価値を決めるのは他者ではない。
他者はあなたから受け取ることができるが、あなたの本当の価値はまだ知らない。
あなた自身さえも、その価値の全てを未だ知らない。
価値とは可能性のこと。あなたの存在のあり方、その純粋さのことだ。
それを決めるのは、今ここに有るものではない。
今ここでどう在るか、何をしているか、何をしようとしているかだ。
何かであろうとする必要はない。ただ自分の自然を生きればいい。
あなたの現在の種の中に、未来の大樹を描き、ただその方向へと、まっすぐに成長させなさい。
それを押し留めてはいけない。
まっすぐに進めさせないように見える障害物の多くは、自分自身が想像し、創造した恐れの影に過ぎない。
何が起こっているかと、それにどんな意味を与えるかは別のことだ。
花の茎や、大樹の苗が風に倒されても、彼らは風のせいにはしない。
そこに意味、無意味を与えず、その是非を問わない。
ただ起こってしまった事実として受け取る。
常にそこから見える最良のものから目を逸らさず、今自分にできる最善の方向へ、もう一度立ち上がる。
花は常に希望を知っている。植物は自分を疑わない。怖れない。
陽の光と自然の恵み、宇宙の理を信頼し、自分の生命の力に従い、ただ生きる。
自ずから在るように在らしめること。自ずから然り。それが自然に生命(イノチ)を生きるということ。
あなたの生命が純粋に燃える時、あなたの生命が輝く。
それが生きる意味であり、あなたの本当の価値となる。
濁りなく在りなさい。
自分の生命(イノチ)の純粋さに従いなさい。
澱みなく在ることができるようになったときに、花が世界を見ているように、周りの世界を見るようになるだろう。
あなた自身が、一輪の花であったことに気が付くだろう。
そして強い意志と個性を持ったまま、もう一度この星と、宇宙の一部に戻る。
己の役割を知り、自然の一部として生きるようになる。
それが真にあなた自身を生きるということだ。
あなたは、つながりを失った存在としては生きられない。
個の存在は、全体の中でこそ、その意味と役割を持つ。
全体もまた、あなた自身なのだ。
それに気が付けば、慈しみ、全体性を持った自分として、自らを開放できるようになるだろう。
宇宙とそこにあるものを抱擁し、ハートを開いたまま偽りなく生きるようになるだろう。
大丈夫。あなたはすでにそういう存在だ。それが生命だ。
それが自然の生命(イノチ)として生きるということ。
それが頭ではなく、ハートに従って生きるということ。
自分が誰であるかを知っているということ。
それが自分自身で在る(I am)ということだ。
ありがとう。
愛しているよ。
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