伝えるということ





 

今日は森のテラスを借り切って、一人書斎代わりに使う。

読書と創作。飽きたらグランドピアノで遊び、お茶を飲む。

ゆっくり落ちる冬の陽。火のはぜる薪ストーブ。横で眠る黒猫。

贅沢な一日。



今日の観想(テオリア)





120208 伝えるということ







先日からこの対話をできるだけ残すようにしていこうという試みをしているわけですが。





「君の方からたくさん話しかけてくれて嬉しいよ。さて、今日は何について話そうか」





いくつか訊いてみたいことがありまして。





「ほう、ケルビン・ヘルムホルツ不安定性のことかな?それともシュヴァルツシルト重力半径?あるいはシュレーディンガーの猫について?」





難しいことを知っていますね。





「いや、君の頭の中のボキャブラリーから難しそうなのを並べてみただけさ」





趣味が悪いですよ。





「私は君の母体だからね」





まったく…。まぁ、今日はそのことについてです。





「本当に?」





いや。どうしたら難しい言葉を使わずに物事を説明できるかとか、そういうことです。





「なるほど。確かにそれは君の課題だね」





僕の課題ですか?





「君の課題だろう。それは君の相手に対する距離感と受容性の問題だからだ」





そう、それなんですよ。その「距離感」とか「受容性」とかって、たとえばもっと子どもとかにも分かるように伝えられないかなと思っているんです。

多分抽象的な表現だけだと、まっすぐに受け止めたり届けたりしにくいんじゃないかなと思って。

きちんと上辺だけでない、ものの本質を伝える言葉って、それが本当に本質なら決して難しくなく伝えられると思うんです。





「なるほど。子どもにも分かるように。よい着眼だね。

君は子どもに対しても、決して子ども扱いしないで話すね。

そのようにまず、まっすぐに相手を見ることだ。

相手の中の子どもに話すように、相手をきちんと受け止めてから語りかけるのだよ。

それが距離感と受容性の意味だ。

あなたが相手を受け止め、あなたの奥にある部分から語りかければ、それは相手の同じ深さまで届くのだ。

君の言いたい分かりやすい言葉とはこういうことではないかな?」





そう、そんな感じです。とても伝わってきました。以後その感じでお願いします。

なるべく難しい言葉を使わずにやりたいんです。





「わかった。やってみよう。



分かりやすさとはつまり、あなたの府に落ちる言葉だ。

あなたが感じる一番受け取りやすい言葉で語ることだ。

それは誰かの目線に合わせることではなく、相手を見くびるのでも、子ども扱いするのでもない。

あなたがあなたの心の芯に添った言葉を用いているか、そこにどれだけ正直で誠実であるかが重要なのだ。



あなたを通して何かが伝えられる以上、あなたの言葉がどれだけ、その伝えるべきものの純粋性を損なわずに、忠実にその性質を伝えられるかが重要だ。

それは自分というフィルターがどれだけ透明で明晰であるかということ。

言い換えれば、あなたがどれだけ自身の奥深くにある、あなたの真実、あるいはあなた自身のより大きな自己(ハイアーセルフ・真我)と一致していられるのかということだ。

なぜなら、そこがあなたの一番純粋な部分だからだ。



そして情報、伝えたい事柄を丁寧に扱い、そしてそれをできるだけ率直に伝えることだ。



理想的なキャッチボールを思い描いてごらん。

力も経験も豊富な大人が、小さな子供に向かって、球を放るとき、何に注意しているかをよく観察してごらん。

大事なのはその球を正確にまっすぐに相手の手のなかへ届けることで、自分の力を誇示することではない。

誰にでも受け取りやすい球の軌道は限られているが、その軌道に正確に沿わせて理想的な球を放るには、あらゆる経験と技術が必要だ。



優れた指導者、話し手とは、それこそが自分たちの役割であり、技術はそのように使うために磨かれてきたのだと知っている者だ。

科学者や教師や芸術家の本来の仕事は、世界に隠されている理を紐解いて、誰にでも分かる形に加工し、それを智慧として応用し、誰にでも役に立つ形で紡ぎなおすことだ。

自然の繊維や蚕の糸から仕立てた居心地のいい衣服が誰かの心身を温め守るように、優れた智慧はその真理ゆえに誰かの魂を守り養う。



だからどんなときもあなたの言葉で語りなさい。

あなたがあなたの深い部分につながり、そこから語るとき、その言葉は純粋さと真理を持つ。

いつもできるだけそこに誠実に、率直でありなさい。

伝えたいことはあなたの心に問いなさい。

なにも引かず、付け加えず、そこにあるものだけを伝えなさい。



誰かの求めやニーズの中に、伝えるべきことを探そうとすれば、あなたは迷うだろう。

たとえば自分がどう思われるかなどを気にして言葉を選んでいれば、あなたは自分を見失う。

それは鏡の中に実体を求めるようなものだ。

あなたに返るのは、問いを発した自身の姿だけで、答えは得られない。



だからどんなときも自分に誠実でいなさい。

たとえその時、あなたの言葉が相手に届かなかったとしても、あなたの真実から出た言葉はいつか必ず伝わる。

人は真実を無視し続けることはできないからだ。



そしてコミュニケーションは、自分から投げ始めたときに、初めて責任を持って受けとれるようになる。

自分が放り投げている球が、どんな球なのかに常に注意していなさい。

それがあなたの受け取るものの質を決めている。



意思と責任を持って自分から始めなさい。

そうすればあなたは結果に対して、責任を持って、恐れずまっすぐに受け取ることができるようになる。



それがつまり、自分の住んでいる、あるいは自分の受け取っている世界の質を決定しているのだということに気付いていなさい。

あなたの発しているものが、あなたの受け取るものになる。



だからこそ丁寧に生き、丁寧に紡ぎ、与えなさい。

あなたの受け取るものは、いつかあなたの中から生まれ、発せられた思考と言葉、行為と習慣、ものの見方とその偏りに起因している。

自分で発するものに責任を負うなら、あなたはそれに翻弄されることなく、その反応や結果を受け止められるだろう。



丁寧に自分に問い、自己と他者に対して誠実にそれを分かちあいなさい。

それが最も分かりやすく、あなたを表現することになる。

それがシンプルにあなたの真実を生きることにつながる。



あなたが自分と他者に向き合うには、自分の真ん中に降りていってそこから受け取り、語るしかない。

そうすればあなたは、世界を曇りない目で見ることができる。

嘘や葛藤を持たずに生きられるようになる。



純粋なあなたの表現は美しい。

そこに制限や評価を与えているのは常に自分自身だ。

何者かであろうとするのでなく、ただ一つの生命として生きなさい。

一輪の花のように、ありのまま世界に立ち、怖れずに交流しなさい。



あなたが、ただあなたでいてくれることが宇宙は嬉しいのだ。





ありがとう。

愛しているよ」



















 

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