昨日思いつき、新月明けに行った金環蝕のサポートエネルギーワークですが、とても豊かで美しい時間を過ごせました。
ありがとうございます。
急な告知であったにも関わらず、幾人かのご参加を頂きました。
もしまた必要な方があれば、ご一報ください。何度でも行います。
見える世界は小さな灯りだけの暗い部屋。
だけど、闇は宇宙につながる扉です。
自分を拡げ、内にも広がるたくさんの豊穣さに気付かせてくれました。
深い祈りと瞑想が、自分の中の静けさを教えてくれました。
この機会を与えていただいたことに心から感謝します。
ワークは、気が付くととても長い時間が経っていました。
どうか皆さんに、最もよきギフトがもたらされますように。
終わったあとの余韻も美しくて、そのまま寝るのがもったいなくて、求めるまま音楽を聴いていたら、静かに猛烈な気付きがやってきました。
自分が否定していた、見たくなかったものにはっきり気が付いたのです。
そこを見る必要を感じて、そのままセルフワークに入りました。
静かに、自分をヒーリングしていると、たくさんの感情が上ってきました。
自分の隠されていた行動理由や、否定し押し付けられていた気持ち。
一つ一つを受け取りました。
以下はそのときに書いたメモです。
自分自身への記録として、そのまま転記します。
・~・~・~・~・~
「私は私の中のすべてを、心から受け入れます。
私の中のすべてを、愛し許します。
弱さも、自信なさも、孤独も、それゆえ愛を求める醜さも、格好悪さも、余裕のなさも、すべてを受け入れ、許します。
どうか、許してください。
私自身を、心から受け入れ、もう一度愛します。ありがとう」
深い部分から出てきた自分自身の痛みと、目を背けていた見たくなかったもの。
もう一度自分自身と和解した。
「ごめんなさい。ありがとう。愛してます。許してください」
何度も繰り返す度に言葉はだんだん変わり、やがて
「愛します。許します」だけになった。
胸の奥に残る痛みを、無視して歩いてきたのがわかった。
どんなに歩いても、人は自分自身にしかなれない。
此処でない何処かなど、どこにもない。
もう誰にもなろうとしなくていい。
そのままの自分でいい。
こんな青臭いことを書いている自分でも、それが許せなくても、もう認めてあげていい。
お前はまだそこにいるんだから、どうしようもない。
そんな自分を愛そう。
そうしたら、力を抜いて生きていける。
なりたい自分になろうと頑張ってたんだ。
一つ一つ。足掻いてさらして、格好悪くても、隠すほど自分を否定することになるから、もう今の自分を認めよう。
人のことみたいに、他人事に投影して、当事者を回避するのはやめよう。
格好悪くても、今はそれを見る。
見たらもっと強くなれる。
逃げずに此処に立っていられる。
流れて行くのを見ているだけの人生じゃなく、逃げずにいまここから生きるんだ。
そうしたら、自分の生を取り戻せる。
生きることが、受けとるだけでなく、自分で創りだすものになる。
本当でないものなんてもういらないし、「いつか」は今だ。
どんなに遅すぎてもこれが始まりだ。
まっすぐ、一つ一つ。怖がらずに受け止めていこう。
生皮を剥いたばかりの果物のように繊細で、赤ん坊が見る世界のように瑞々しくて、子供のように恐がりなこの感じ方を、慣れることなく生きざまにしよう。
それでいいと言ってあげたい。
それでいいと笑ってあげたい。
それでいいよ。もう逃げなくていい。
それが何をもたらしても、私が全部受け止める。
君(小さな内なる自分)のことをもう否定しない。
ごめんね。
ありがとう。
愛しているよ。
許してね。
ごめんね。ありがとう。愛しているよ。
このまま抱き留めたまま、どうかこれを忘れずにいられますように。
どうかもう、逃げずに生きることができますように。
愛してます。
ありがとう。
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