無駄と本気で生きる


 写真はチョーさん



先日久しぶりに、珍しくふっと飲みたくなって、ワインカクテルとチーズを買ってきて、ショーン・コネリーの映画を観た。ああいう年のとり方をしたいものだ。



なんか大人っぽい雰囲気に酔ってみたかっただけなんだけど、翌朝案の定蕁麻疹が出た。

缶カクテル一本だけだったんだけどなぁ。昔からアルコール摂ると出てたけど。

大人になれば変わる体質とかではなかったらしい。体は大事にしようと思った。

やっぱりお酒ももういらないんだなぁ。年々必要ないものが増えていく。

もっとそういう人生の無駄も楽しみたいんだけど。



と思ったら、こんな言葉見つけた。





『何やってんだろ、今の私(俺)、とか言って自分を責めたり、情けなく思わなくていいからね。人生なんか90%は無駄なんだから。あとの10%でカバーしているだけなんだ。だから、大いに無駄していいよ。』 (志茂田景樹)





だよね。

志茂田景樹って奇抜な格好で知られるけど、本当はすごく優しい人だと思う。

自分に率直に素直に生きて、好きなことを本気でしているだけだ。

そういう人のほうが好きだな。友達になれると思う。



読売ニュースにこんな記事が出ていた。

就活失敗して自殺しちゃう子が増えているんだって。4年で2・5倍だそうだ。



そういうのって本当にもどかしい。

人生にはいくらでも他の生き方があるって教えてやりたい。



そんなことで死ぬな。

お前達を否定するような、価値観の偏った社会に否定されるままでいるな。

オルタナティブ(代替案)は常にある。

生きるって、働くって、与えられるだけじゃなくて創り出すものなんだよ。

柔軟に楽観的にひたむきでいれば、今すでに持っているものと、心が歓びを感じている方向性の中に必ず次の答えがあるんだよ。



本気でやれば大抵なんとかなる。少なくても次の行き先は見つかる。

死ぬ覚悟があるなら、とことんやればいいのに。

自分が守っている小さなプライドや世間体なんか、生きる歓びと可能性を味わい尽くすことに比べたら、秤にかけるのも馬鹿げた小さなものだ。



自信に理由なんかいらない。もっと自惚れろ。

自分にしか出来ないことがあると信じろ。必ずある。



自分は宇宙にあって、たった一つの代わりの利かないピースなんだから、自分が今ここにいることの意味をきちんと見つけろ。

意味なんて、与えられるんじゃなくて創りだすものだ。

自分の魂の喜びに従って感じる方向を目指して歩けば、それが意味で目標だ。



どうせ逃げたって逃げ切れないんだよ。

自分の決めたことが自分の人生のバランスを決める。

ある場合に何を選ぶかっていう、その人の決定のあり方は、その人の辿る人生の質になる。

だから、妥協していると生き損じるよ。



それは間違っているとか、こうあるべきだっていうことじゃなく、自分が得られたであろうあらゆる可能性をみすみす見送ることになるよっていうこと。

それがもどかしい。



どうやったら、本来持っているその人自身の可能性と質を、思いっきり開いてそれが活かしあえる世界になるんだろう。

どうして誰も、君はそのままでいいって言ってやらないんだ。



そういうことを言ってやれる大人になりたい。

そういう生きやすい世界を創りたい。

待ってたって、文句だけ言って人のせいにしてたって、何も変わらないんだから行動できるようになりたい。



とりあえず方向を教えてくれるモデルを学びに、今月から勉強してきます。

ちゃんとした形で何かを提案できるスキルが欲しいし、インプットやアウトプットの効果的な仕方と、それを表現する手段、方法、まだまだ足りない。



どちらにせよ、出来るかどうかという問いかけには意味がない。

選べるのは、やるかどうかだけだから。

無駄を楽しみつつ、やりたいことをやろう。





ありがとう。



















 

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