鏡に気付いている


日本の覚者津留晃一の言葉より抜粋。
謙虚さとは、クリーニングとは、今を生きるということはこういうこと。
分かりやすい言葉を自分自身の覚書として。




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この世は鏡であるとは
一体どういう事でしょうか? 

目の前に映し出された
現実という名の映像は、

あなたのどんな考え方の
反映なのでしょう。

思考が映像化されているため、

そこには解釈が必要なようです。

あなたの内なる世界が象徴的に
物質を通して表現されています。

その解釈によって、

あなたは自分の人生の
 ありようを決定しています。

すなわち解釈こそが
人生となっていくわけです。

その解釈に正しいも
間違いもない事を
 くれぐれも知って下さい。

「この解釈で正しいのだろうか」と
人に尋ねるのはナンセンスです。

「これで正しいのでしょうか」と
聞きたくなる気持ちは
 よくわかりますが、

まず「自分は
間違っているのかもしれない」

という信念が潜んでいる事に
気づく必要があります。

そして私達は、
 自己否定的観念は必要ないという事を

確認すべきかもしれません。

「私には間違いというものは存在しない」
という真理を使って下さい。

人のためにではなく
 あなた自身のために、

この鏡という現実を使って下さい。

あなたが他人の行為をみて
「こうしたらいいのに」と思ったときは
 チャンスです。

「あの人がこうしたらいいのにと、

 私には解るのですが、
それを言ってあげた方が
良いのでしょうか?」と

 よく私は尋ねられます。

人にアドバイスするかどうかは
 どちらでもかまいません。

良い事と悪い事は
 ないのですから・・・。

どうぞ判断せずに
直感に従って行動して下さい。

ですがこのチャンスを
棒にふる手はありません。

今そこには
 あなたがした方が良い事が
映し出されているのです。

もしあなたが、その人が
 こうした方が良いと見えるのでしたら、

あなた自身こそがそうして下さい。

他人に向けるアドバイスこそ
自分に使って下さい。

私自身、
そうやってここまで来ました。

クライアントの方に向かって
言っているアドバイスを

私自身が実践することによって
私は自分を変え続けています。

思わしくない人間関係が今、

 目の前にあるとして、

それが自分自身のどんな考え方の
反映であるのかに迷った時は
 こうして下さい。

あなたが相手に
「こうすればいいのに」
と言いたいこと、

それこそあなた自身がす
 べきことだと思って、

それを実践して下さい。

いつの間にか
人間関係の修復が済んでいることに
気付くことでしょう。

あなたが「誰かに否定された」
と感じるとしたら、

それはあなたが
自分を否定している事の
現れです。

他人からの拒否を恐れている
 たくさんの人がいますが、

あなたが何も否定しなくなったとき、

もう誰かによって
拒否されるという出来事は
起こらなくなってきます。

あなたは
「家族とうまくいかないのは
自分に問題があるかもしれない」

と謙虚に考えます。

自分が変われば
全てが変わると
思っているからです。

ですが「相手が変わらないのは
自分に責任があるからだ」
という思考を使ってはいませんか。

そんな発想こそ
根元的自己否定の現れです。

これまで何度も
「人を変えようとしないで下さい」
と言ってきました。

それはあなたが
悪いからではありません。

現状が気に入らなければ、
 自分の考え方を変えてみてはどうですか

 と言っているわけです。

今あなたのまわりに、
あなたを否定してくる人は
 いませんか? 

「何でこいつはいつも俺のことを
否定するのだろうか」
という思いがあるとしたら、

ちょっと立ち止まって、
この事を考えてみて下さい。

「何で俺は
自分を否定しているのだろうか」と。

「俺が否定されるということは、
 俺が何かを否定しているはずだ」と。

「自分に悪いところがあるからに違いない」
という観念があると、

その想念があなたの外界に現れてきます。

あなたの思い通りに
「お前が悪い」という現実が
起きてくるわけです。

外側に現実があると思っている人は
他人から否定されると、

即座に反撃を開始して
自分の正しさを主張します。

戦いが始まります。

そして長い他人との戦いに
疲れ果てた人は、

やがて外側にあるのは
幻にすぎない、

自分の想念が映っているだけだ
 という事を悟ります。

ところが二極的思考に
 なれきっている私達は

「だとしたら
今うまくいっていないのは
自分に問題があるからだ」

と考えます。

私達は
「自分には克服すべき欠点がある」
という誤解を信じ込んでいます。

硬い、硬い固定観念です。

欠点を悪しき物、
 修正すべき点と思い込んでいます。

永い間、
 欠点を克服することが人生である
 という考え方を

人類の集合意識が
選択してきたからです。

我々には克服しなければいけない
欠点などありません。

どうか
「自分は間違いだらけの人間である」
とか、

「自分にはいたらない点がある」
などという

全く何の役にも立たない
思いこみを手放して下さい。

誰がなんと言おうと、
あなたは「自分が間違っている」
などという誤解を

信じ込み続ける必要は
 ありません。

その考えこそがあなた自身を
否定する考えであるからです。

念のため、
 誤解のないように
言っておきますが、

あなた自身が
自己正当化のために

「俺は間違っていない」と
 いい張ることと
混同しないで下さい。

それはうまくいきません。

よく苦しさのあまり
「俺は悪くない」

といい逃れをしている人を
見受けますが、

自分や他人に「俺は間違ってない」
と言い聞かせねばならないほど

「自分が間違っているかもしれない」
という思いこみがあることに
気付いて下さい。

あなたが
「こうしよう」と言った時、

誰かが
「こうした方がいいのじゃない」
と言ったとします。

そんな時、「ムッ」とする
感情が出たとしたら要注意です。

あなたは瞬間に否定されたと
判断しているのです。

相手が自分の意見を言っただけだと
受け取れなかったわけです。

あなたが「否定された」
と判断できるのは、

あなたの中に、
 自分は否定されても
仕方のない欠点がある
という考え方を
持っている場合だけです。

もし100%自分は完全である
 と思い込んでいるとしたら、

どうして
「自分は否定されたのかもしれない」
と思えるでしょうか。

「自分には克服すべき欠点がある」
という想念が
100%消えている人は、

他人から
「こうした方がいいのじゃない」
と言われても、

単に「そうかもしれない」と即座に
人の意見に対応することが出来ます。

自分がこのままでいいと考えている人は、

 当然、人もそのままでいいと考えます。

ですから否定という概念が
存在できなくなってきます。

そんな人は
「否定された」という判断の
出来ない人になってしまいます。

人から馬鹿にされたように
感じたり、

否定されたような感じを
受けてしまうのは、

その人自身の「自分の欠点を直そう」
という思いの反映です。

「欠点を直さねば」
という思いを持っている人は、

人が単に自分の意見を主張したとき、

 自分が否定されたように
感じてしまうのです。

相手には
全くあなたを否定する意志が
 なかったとしてもです。

「私を否定できるのは私だけ」。

あなたが否定されたと感じたり、
 人から拒否されたと感じる時、

 即座にこの言葉を思い出して下さい。

そして「私のどんな考え方が、
 自分にふさわしくない
この現実を映し出したのか」

と自分の内面を見つめて下さい。

このムッとする感情は、
 単に起きているだけだ。

自分の想念が鏡として
映し出されているだけだ。

そして「私はまだ
自分には克服すべき欠点がある
と思い込んでいるのかもしれない」
という点に注目してみて下さい。

確かにあなたの想念が
現実を創ります。

だから欲しくない現実が
現れたからといって

「自分には良くないところがある」
という結論を出す必要など
全くありません。

こんな風に思考が流れてしまう事に
我々は普段疑問さえ感じません。

二極的思考の流れを
 チェックして下さい。

もう少し自分の思考のパターンを
見張って下さい。

何か好ましくない現実に出会う度に、

あなたは自分自身を
否定してはいませんか。

今、下したあなたの否定的判断は、
あなたの宇宙という鏡を通して、

またあなたの元へ返ってきます。

あなたが他人から
否定されるという形をとって。

自分で自分を
否定しているという事実に
気づいていないあなたは

「どうして私はあなたから
否定されなければいけないの」
と否定してきた相手を憎みます。

その方が鏡であるということをすぐに
忘れてしまいます。

自分の発した想念を
見張ってないからです。

「肉体に不調が現れるのは、
 想念に不調和があるからだ」
という話はもちろん真理です。

だからといって、

 今、自分の肉体に
具合の悪いところがあるのは
自分のいたらなさのせいである

 と自分自身を否定する必要性が
 どうしてあるのでしょうか。

そんな二極的発想は
全く不必要です。

今あなたの肉体のどこかに
痛みがあるとしたら、

それはあなた自身が
過去のどこかの時点で
発した思いの結果です。

それはあなたが発した思いの
果実です。

「ああ、痛みが実った実った」
とただ見ていればいいだけです。

あなたが朝顔の種をまいてその花が
咲いたときはどうしますか、

「自分のせいでこんな事になった」
などとは思わず、

「ああ、咲いた咲いた」
と見ているでしょう。

我々が丹誠を込めて創り上げた成果、

それはいつの間にか消えていきます。

それが定めであることは
百も承知しているはずです。

ですから今ここにある苦痛も、
いつの間にか消えてしまうわけです。

我々の創り出す成果、
それはプラスであれマイナスであれ、

時の流れと共にいつの間にか
消え失せます。

そんな変わりゆくものに
意識を止める必要はありません。

我々にとって必要なものは、
 変わりゆく現実にはなく、

永遠である
我々自身のありようです。

永遠に続く

「自分」という存在にだけ
 フォーカスしてみてはどうでしょう。

「このままで良いのだったら、
 進歩しないではないですか」
という疑問がわいてくるものです。

そうなのです。

あなたは
「進歩しなければいけない」
という考え方によって

今の自分を裁きます。

それこそが、

今、この瞬間の
自分を否定している最大の証拠です。

「進歩しなければ」
という発想こそ
根元的自己否定です。

その発想は
「いたらない自分がいる」
という考えをベースにした思考です。

根底にいたらない自分の
存在を認めています。

全てはそこから始まります。

そのあなた自己否定によって、
 今のあなたの宇宙は構成されています。

全ての現実はその自己否定から
始まっている事に気づいて下さい。

まずいたらない自分がいて、

その不完全な自分を
修復していくというのが
 これまでの生き方でした。

あなたはどんなに努力して
自分を修復しようとしても、

その根底の所で自分のいたらなさを
認め続けているわけですから、

永遠に進歩ゲームは
続いていくわけです。

あなたは、自分を修復させようと
想念を発する度に、

いたらない自分をもう片方の手で
創造し続けているのです。

でも、今あなたが
 うまくいっていないのは、

あなたの過去に出した
想念に依っています。

今、目の前にある現実は、

 全て過去のあなた
自身の想念によって
創造されたものです。

ですからそんな状態を
気にすることはありません。

あなた方の気をつけることは
今のあなたの想念です。

今、自分をだめだと
思ってはいませんか。

「私には否定すべき
何物も存在しない」

という言葉を思い出して下さい。

今、出す想念で
 あなたの未来が決まります。

今ここに
否定的感情があるとしたら、

ただ黙ってそこにいて、
 今の自分を感じてあげて下さい。

自分の想念の
一瞬一瞬を見張って下さい。

あなたのする事はそれだけです。

その現実には対処しないで下さい。

そうしたらもうそれ以上
 事態が悪くなる事はありません。

今、既にあなたの過去に出した
否定的想念が
実っている わけですから、

その実った現実は
 いつか消えていきます。

「でもそんなふうに思えない」
とあなたの自我が言ってきたら、

そう言っている人を
無視するのではなく、

すぐにその人に
意識を向けてあげて下さい。

「本当にそうだよね」と、

その人の言い分を
 わかってあげて下さい。

あなたの中の
 そんなふうには思えない部分さんも、

あなた自身が
 わかってあげさえすれば、

 必ず安心して静かになります。

私達の思考は、
 絶えず今ある現状を
判断しようとします。

今、目の前に展開している映像を、

 自分にとって都合のいいことか、
 不都合な現実であるかを。

そうして不都合な現実に
対処していく。

これが生活になっています。

しかしあなたの判断は、

 過去のあなたの価値観
というモノサシによって
初めて可能になります。

今あなたの下した判断は、

あなたの過去の考え方に
基づいています。

そして判断した結果未来に
対処します。

すなわち判断は、過去のあなたを
未来に投影してしまうわけです。

実は人間の判断という行為によって、

 過去が未来に受け渡され、

直線的時間というものが
創造され続けているわけです。

判断して
 それに対処していく生活とは、

過去と未来に生きる人生です。

今、ここ、という

最高にエネルギーに
満たされた瞬間を、

過去のこだわりと、

 未来の不安に対処するという
人生に浪費し続けます。

判断する生活が、あなたを
今この至福の瞬間から
遠ざけています。

あなたは判断するという
行為を通じて、

今、ここ、という
宇宙とつながっている
状態から

自分自身を切り離しています。

 判断するという行為を通して
 あなたは自分自身のパワーを
失い続けました。

 「自分には力がない」
という妄想を信じるに
至りました。

どうか勇気を持って
判断する生活から
離れてみて下さい。

ただそこにいて、

 今を生きて下さい。








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