かくあれかし

 

明け方の空を見ると、頭の中が静かになる。
波の音に埋もれて思考の色が薄くなり、白に近くなっていく感覚が好きだ。

毎朝、世界は最初からずっと完璧だったと思い出す。
その度に忘れて、毎日知り直す機会が与えられているとしたら、それはギフトなのかもしれないなと思う。

amenていう言葉が好きだった。
聖書を読むとき、最後に皆で唱えるあれだ。

"かくあれかし"という意味だと教わった。
覚者の言葉を受け取って、私達もそのようにあれますようにという唱和なのだと。

もし世界が最初から完璧なのだとしたら、"かくあれかし"は必要ないな。
だからそれはきっと、"愛でありますように"という祈りだ。

私達が忘れてしまっても、また思い出せるようにという祈り。
全体であった私達が、また源から繋がり、一つであったことを何度でも知り直せるように。

それは日々と世界の中にずっと置いてあった、静けさと美しさを見つける遊び。
私達が誰であったのかを思い出すように、そっと仕掛けられたはからい。

世界を優しい遊びにすることも、終わらぬ闘いにすることも選べるなら、それもきっとゲームに組み込まれた仕掛けなのだろう。

美しさは与えられる世界の中にあるのではなく、見つけようとする目の中に宿ると。
それに気が付いたら、世界は自分を映しているだけで、そもそも世界と自分は一つだったと思い出せるから。

深く息をする。
あぁ、ここに"いる"なと思う。


amen.












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