雲のない場所


昨日も割と大きな切り替わりの日だったな。
夜、大きめの個人セッションをしていて気が付いたことがあったのでメモしておく。

関係性の問題、例えばパートナーシップとか結婚とかって、必ずしも相手の問題ではない。
というか本質的に自分にとって何かが問題と映るなら、それが相手の問題であることはない。

「家族」とか「結婚」とか「パートナー」とか、自分の中に蓄積された概念の解釈に偏りや歪みがあると、関係性に投影される。
それが人生に困難を引き起こす。
うまく人を愛せないとかも同じかな。

"人間関係は近すぎると煩わしさをもたらす"とか、"特定のパートナーがいると自由に生きられない"とか。
ある種の概念そのものに付着するマイナスの信念体系が、人生全体に与える影響は想像以上に大きい。

これを過去世のせいだとか、家族のせいだとか、原因に責任転嫁するのは容易だが、それだと他人軸になりやすい。
実のところそれは巧妙な焦点のずらしだ。

ありのままの自分とは何だろう。
結局はそこに帰結する物語だ。

ありのままの自分を何処かに感じていて、それに至っていないとき。
且つ、自分自身は変わりたくない、行動したくないとき、人は他者に転嫁する。

自分が自分らしくいられないのは、他者が悪いからだと怒り、成長が止まる。
即ち他者軸になり自分軸を見失う。

自分の物語を生きるには、今を生きることだ。
自分の今受け取っているものを、歪みなくクリアに観て味わうこと。

否定的な感情や体験も否定せず、ありのまま味わう。
否定しなければ、それは留まらず流れていく。
最も深い経験は、痛みにさえ開いている。
それは自分を最も深く愛することと同じことだ。

概念(に付着した信念)を癒すには、自分の囚われている反応パターンや信念体系に対し、それを作ったもの、今もここにあり、ずっとそこにあった感情を迎えに行く必要がある。

今ここにあるものを全て認めない限り、この瞬間の時間は流れ始めない。
無意識に過去に囚われた思考とパターンをループし続ける。

それは思考の雲に取り巻かれて眠っているのと同じだ。
思考で出来た夢の中に生きている。
厳しいようだが、私達は大半の時間を思考の夢の中で過ごしている。

一つずつ、一つずつ、絡み合った意識の紐を解く。
人生の後半は、自由になるためにある。

手放すほど世界は広がる。
経験の透明度が増して、世界が美しくなる。
でも本当は、世界は最初から美しい。
曇っていたのは、窓の方だから。

そんなわけで最近は瞑想する時間が増えた。
瞑想は、思考のない時間。

最近聞いた話だと、思考が止まる時、人は大気圏を抜けるらしい。(地球の意識磁場圏)
思考はきっと雲みたいなものなのだ。
覆われていると、太陽は見えない。

人類の想念が渦巻く大気圏を抜けたら、クリアで分離のない、何処までも広がる一つの意識に戻る。
意識はあっても自我はない場所。

そこを自在に行き来できたら、囚われのない世界は、今ここに現れるのだろうな。
出来るだけ、心に雲のない空を映して生きたい。

それが最近朝早く、太陽と共に瞑想する理由。











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