二周目に戻る場所


「すべては、あるべき場所に戻る円環の中にある」

私達の道の辿り着く場所は、既に用意されている。
廻り続く輪の中で、螺旋を重ねながら、何処かへ向かうつもりでいたけれど、あらゆる意図を手離して、自分の途にゆだねたとき、それは既にそこにあったと知る。

生きることは即興劇ではなかった。
知らされていない、見えない脚本を演じる即興劇だ。
筋からズレると連れ戻される。

神はアドリブを好むけれど、私達の役は用意されている。
全ての幕が降りたとき、演者もまた、自身の舞台の観客であったと識る。そんな物語。

なんだかそれを楽しむのも良いかなと思ったのだ。
抗うのをすべてやめてみる。

今のすべてを肯定出来るなら、過去を受け入れられる。
未来のすべてを受け入れられるなら、今をそのままに生きられる。

さまよう必要はない。
螺旋は結局円環だ。
すべての物語は、あらゆる可能性を孕んで、既に描かれた道を用意している。

一本ではない道を想像するのは難しい。
未知に抗うのをやめたら、バラけているように見えた道は一つに戻る。

ゆだねることは楽しむこと、明け渡すこと。
備えていたら波には乗れない、ジャズで、波乗りで、即興劇。
生きることは文字通りLiveだ。

そうしたらきっと、その途の先はまた始まりに戻る。
すべてを識ってまた始まりに戻れるなら、今度は出逢うものの全てを祝福できるだろうか。

何度でも、何度でも。
そうか、最初からこの螺旋は祝福されていた。
徒に怖がりさえしなければ、拒絶する必要のなかった美しいものたち。
それらのすべてが、物語に与えられたギフトたち。
自分もまた、誰かの物語にギフトを与えることができたなら。

せめて今ここから、そういう風に世界を見てみよう。
今まで見落としてしまったものを補完する必要はないのかもしれないけれど、届かなかった愛や、受け取れなかったギフトが、二周目の凸凹を舗装することができるように。

間違えないでは歩けないことが物語の味わいだとしても、間違えないで歩きたいと思ってしまう。
出逢った大切な人達のために、次こそはと願う力が、魂を引き上げる力になるのかもしれない。
そう願う。









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