桃色のうつくしい朝の日光をのむ


久しぶりに朝ヨガして、海でサンゲイジングに間に合った。 
朝日を見つめて、太陽光を飲みほしていく。  


「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」  
宮沢賢治 『注文の多い料理店』序文より


美しいものの多くは自然からやってくる。
ひょっとすると、やって来ると感じるのは間違いかもしれない。
全ては最初からここにあった。
閉じていたのは、いつだって自分の窓の方だ。

筆を置くと、波の音が聴こえだす。
それまで、こんなに大きな音に包まれていたことにさえ気付かなかった。
潮騒というくらい、波の音は騒がしい。
だけど決して不快ではない。

ただあるものは何も押しつけてはこない。
すべてが開かれていたなら、コミュニケーションは私にゆだねられてらいる。
彼等はそれを待ってさえいない。

ただ私が世界を映すだけ。
自分の窓に映る自分自身を観ている。
せめてこの窓に曇りがなければ、もう少し開いていたならば、あるいはそのままの世界と向き合えるのだろうか。

深呼吸する。
桃色のうつくしい朝の日光をのむ。


「けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。」


体験のすべてはきっと、この窓の内側で紡がれ続ける小さな物語。
けれどもし窓を開けられるのなら、せめてうつくしい欠片を、解き放てるようにありたいと願う。

きれいな風で一つ一つを清め、透き通ったほんとうのたべもので、満たしていく。
いつか溢れたものが、窓を自然に押し開けて、この小さな部屋が世界の一部となるように。








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