多次元世界とは


オーストリア在住の著作家さとう(Schuh)ちひろさんが、多次元世界への移行の理解についてとても分かりやすい良文をシェアされていたので、こちらにも転載させていただきます。



【直線世界から空間世界へ】

これまで私たちが生きてきた3−4次元から、5−6次元へ移行するのは、これまでは世界が直線のようなものでできていると思っていたら、実は空間的に広がっていたことがわかる、というようなことだ。私たちはこれまで、まるでたった一つの道を皆が進んでいかなくてはいけないかのように、あるいはたった一つの基準に皆が従わなくてはいけないかのように思って生きてきた。まるで世界が一本の直線の上にしかないようにだ。だから、これまで私たちはいつも、どっちが正しいとか、どっちが高いとかいう風に考えて、すべてのものを同じ基準で比較して、争ってきた。共産主義よりも資本主義の方がいいとか、封建制よりも民主主義の方がいいとか、どっちの方が経済が発展しているとか、あるいは3次元よりも5次元の方が高いとか、そういう風にだ。

ところで、5−6次元に意識がシフトすると、世界は実は一本の直線上にあるのではなく、空間的に広がっていることがわかる。空間が広がっていたら、どっちがいいとか悪いとか、低いとか高いとか比べることに意味がないことがわかってしまう。それは、蟻は地下に巣を作り、鷲は高い木の上に巣を作る、というようなものだ。どちらがいいも悪いもない。それぞれが自分の暮らし方に合っているところに自分の棲家を作っているというだけのことだ。もちろんそれぞれにいろいろな争いもあるけれど、すべてに当てはまる基準があるわけではない。いろいろなところでいろいろな尺度のいろんな争いがあって、それで全体としては調和している。世界はそんな風になっていることがわかる。

一極支配から多極化へ移行するとは、つまりはそうしたことだと思う。世界中のすべてのものを同じ基準で測って争うのをやめること。それぞれに向いた生き方をすればいい。世界が一本の直線上にあるように思っていると、それぞれに好きなやり方でやったりしたら、衝突ばかりするように思える。だから、一つの基準に皆を従わせようとする。だけど、世界が空間的に広がっていることがわかると、そんな必要などないことがわかる。世界には、十分な空間があるのだ。それぞれ好きにやっていても、ぶつかりはしない。ちゃんと調和するようになっている。

8月22日から24日まで南アフリカで行われたBRICSサミットで、新たに6カ国が加わることになったのだけれど、これは世界が決定的に多極化へ向かったことを意味している。もはや世界中をたった一つの基準に従わせて、どっちが劣っているとか進んでいるとか言うことができなくなったのだ。BRICSは、多極的な世界秩序を目指していて、それぞれの国がどうあるべきかについて干渉しない。それぞれがそれぞれに向いたあり方をする自由を守るために、BRICSは一極支配を押しつけてくる勢力と戦うということを言っている。つまり、世界を直線上に押し込めてしまう力とだ。

「それぞれが自分の現実を創造しながら生きている」ということは、よく言われるようなことだけれど、このことは3−4次元の意識で考えていると、本当のところは見えてこない。このことはよく、「すべてはその人が自分でやっているのだから、その人が不幸なのはその人のせいだ」とか、あるいは逆に「何をやってもいいのだ」みたいに思われてきた。これはまだ、直線上の世界で考えているから、そういうことになる。ところが、世界が空間的に広がっている5−6次元の意識で見ると、そんなことではなくて、それぞれがそれぞれの世界に生きていて、本当にそれで、たがいにぶつかり合わないということがわかるのだ。

たとえば、ある人が「世界は全体主義化していく。この流れは止まらない」と思って生きているとすると、この人は全体主義化していく世界の中に生きている。自分から全体主義的な流れに従っていって、自由に生きてみようとしないだろう。こういう人は、自由に生きることができると思っている人たちを、理想論で生きているナイーブな人たちだと思っているだろう。だから、全体主義の流れとは違う世界があるとしても視界に入っていないし、あったとしても入ってみようとはしないのだ。この人は、「世界は全体主義化していく」という世界に生きていて、その経験をしている。

しかし、そのことが、空間的に広がる世界の中で見えていると、世界を全体主義から救うには、この人を変える必要はないということがわかる。自分は自分で、自由に生きられる世界を作って生きればいいだけのことだからだ。

「地球の環境は破壊されていく。これを止めることはできない」と思って生きている人は、おそらくそう思い始めた時点で、大地との繋がりから切り離されているだろう。だから、自分から破壊された環境を自分のまわりに作り出してしまうようなことになっていると思う。どうせ破壊されていくんだから、何をしても大して変わりはないと思ってしまうし、それで毒になるもの害になるものを自分の生活の中で使って、自分の生活環境を破壊していたりすると思う。

一方、「世界はひどい状態だとしても、何とかなるはずだ」と思って生きている人は、希望などなさそうなところからでも、新しい可能性を見つけ出してしまうのだ。そうやって、これまで絶対に不可能だと思われていたことが、現実化してしまったりする。こういうことは、歴史上にも多く起こっているけれど、それは皆、この「でも何とかなるはずだ」と思って生きていた人たちが、なし遂げたことなのだ。

実際、ほんの一年前にだって、BRICSが世界を主導する勢力になってしまうなどということを、誰が予想しただろう? あの頃は、ロシアが世界中から経済制裁をかけられて、ロシアの言うことなど誰も聞かないように見えていた。これまで世界を支配してきた世界銀行に逆らえるわけがなく、米ドルに楯突いたりしたら、ろくなことにはならないと思えていた。ところが今や、世界中の多くの国がBRICSに加盟して米ドル取引から離れようとしているのに、首都を空爆されもしなければ、大統領を暗殺されもしないのだ。これは、ほんの一年前にだって、あり得ない不可能なことのように思えていた。

一方、西側諸国のメディアは、BRICSの拡大について報道しながらも、これは中国とロシアによる新たな一極支配だろうとか、内部分裂が起きて、大した力を持たないだろうとかコメントしている。つまり、これまでの一極支配の直線上の世界に、BRICSという新たな勢力が現れただけのように思っているのだ。こういう見解を信じて生きている人は、一極支配の世界に生き続けることになるのだと思う。BRICSもまた結局同じだし、西側世界の方がまだましなように思えるから、視点を変えようとはしないだろう。世界の半分近くがBRICSの方へ行ってしまっても、それで狭くなってしまった直線上の世界に、なおも生き続けようとするだろう。

しかし、世界が空間的に広がっているのがわかれば、こういう人たちにもちゃんと十分に生きる空間があることがわかる。それぞれが自分の信じるような世界を、自分のまわりに作り出して生きているだけのことなのだ。だから、たとえそういう人が自分のすぐ隣で生きていたとしても、自分は自分で自由な世界を作り出して生きていくことができるというのがわかるはずだ。ともかくも、そう考えることで、私たちはまわりの世界がどんな風であっても、まったくあり得そうにないところに新しい可能性を見つけてしまうだろう。

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