ある朝サボテン先生が折れた。
今世紀を共に生きた盟友。
おそらく三十年は生きているジャコバサボテンの木。
根が腐ってしまったようで、植え替えようとしたら主要な枝がすべて折れた。
鉢の底は既に消え抜け、土と同化していた。
これは、もう・・・
腹を括り、しめやかに折れた枝を荼毘に伏した。
さよならサボテン先生、君と生きたこの四半世紀は楽しかったよ。
チャネリングはあなたから学んだと言っても過言ではない。
異種間コミュニケーションに長けたこの先達が、愛や空の在り方を最初に教えてくれた。
サボテン先生の一部はかろうじて植え替えてみたけれど、この最後の一枝が生きるかどうかにさえ、あなたはきっと執着はしないのだろう。
それでもあなたと過ごした日々の思い出が、記憶の地層となって重なるまでの間、どうか側に居てくれたらと願ってしまう。
時代の変わり目を感じる。
去っていくもの、再び交わるもの、新しく始まるもの。
今年はある時代を共に生きた何人もの大事な人々を見送った。
自分の道を終え、役目を果たしたに違いない。
分岐していた幾つかの世界線が統合の動きを見せている。
いよいよ始まるのだろう。
おそらくこれから始まる新しい時代は、これまでの延長とはならない。
何かの準備が調い、まったく新しい何かが生まれようとしている。
その最初の三年が始まる気がしている。
だからこの段になって、役目の終わりを迎えたものは舞台を去っていく。私達は受け取らなければならないのだ。
残された者は、手渡されたバトンを持って、次のフェーズを作り出す順番なのだ。
もう自分のことだけにかまけていられる時は過ぎたのだと思う。
それぞれ何らかの形の統合を経て、創り出す時間が始まろうとしている。
集合意識や惑星規模の意識の変容が起きている。
内側の世界の体験から、世界に参加して共に創り出す意識への転換。
着地して動き出す時の始まり。
冬至はいつも新しい時間の始まりを告げる。
私達はこれからどんな時間を、この星で歩いていくのだろう。
今はその始まりを静かに待っている。
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