他者評価について


30年前からフリースクールのようなことをやってる古山さんの記事より覚書用に転載。



「古山です。

学校での評価は、すべて他者からの評価です。
他者評価は、言葉で与えられます。極端な場合には、点数で与えられます。
学校には他者評価しかありません。

多くの教育者たちは、生徒たちが他者評価を求めてしのぎをけずるように仕向け
ます。
それは、教育者達の動物本能的なずるさです。動物本能的だから、自覚がない。

まず、教室内で生徒に機械的に接して、子どもたちを「認められ不足」の状態に
追い込む。そして、よいことをした誰かを褒めあげる。すると子どもたちは、自
分が認められたい一心で、先生の気に入られようとします。

「このご褒美をもらえるのは、誰かな?」
で子どもはコントロールできるのです。
進学競争も、「このご褒美をもらえるのは、誰かな?」の一種です。

でも、先生がそういうコントロールをすると、子どもたちに自分だけ目立とうと
する行動が多くなります。「先生のお気に入り」ができます。嫉妬が渦巻きます。
ご褒美を諦めた子どもが、無気力になります。暴れる子どももいます。子どもた
ちが、互いを怖れたり貶したりするようになります。

そうすると、そういう子どもたちが、あの子はこんなに性格が悪い、あの子は幼
なすぎる、などと子ども一人一人のせいにされるのです。

教育がそんなものであっては、いけない。

こんな面白いものがあるよ。
見てごらん、不思議な動物がいるよ。
これは、こういう仕組みになっているんだ。
こういうふうにすると、自分も相手もうれしいんだよ。

そんなことを伝えるのがまともな教育だと思います。
でも、現実の教育者は、職務を与えられています。子どもになにかができるよう
にさせるために雇用され、給料をもらっているのです。子どもが言うとおりにし
てくれないと、低く評価され、給料や出世に響きます。ついつい本能的に、子ど
もをコントロールする悪辣な手段に手を出すのです。

子どもたちが他者評価しかない世界で生きていると、他人に受け入れられること
がすべてになります。
たまたまうまくいけば、それなりの知識・スキルを身につけ、よい就職先を見付
けることはできるでしょう。しかし、深いところでの無気力、空虚感が埋まるこ
とはないでしょう。

もちろん子どもたちは、それに甘んじているわけではありません。
そんな教室の雰囲気は大嫌いだと、閉ざしてしまう子どもたちがいます。空想に
ふけったり、文房具の何かをいじったりします。となりの子にちょっかいを出し
たりします。それが、いじめと言っていい程度にまでひどくなることがあります。

年齢が上がってくると、ただ逆らわずに生きるようになります。
他人に受け入れられることがすべてになっている人間同士で付き合うと、争いも
いさかいも起きません。お互いに嫌がられることはしません。それなりに平和で
す。しかし、共感も愛もありません。無難に過ごせるだけです。

自分で自分を評価できていればいいだろう。
ということで、自分で自分を褒める人たちもいます。
それは自己肯定感ではありません。誰も褒めてくれないから、自分が他者に成り
替わって褒めているだけです。それは、他者評価の一種です。

意味ある自己評価は、非言語的です。
なんだか知らないけれど元気になっている。ルンルンと鼻歌を歌っている。姿勢
が伸びて、しゃきっと歩いている。物怖じせずに、人とつきあう。本音で話せる。

そういうのはポジティブな自己評価ですが、ネガティブな自己評価もあります。
無気力になる。物事に取り組もうとしない。失敗するのが怖くて、手を出さない。
人と会うのを避ける。ため息ばかりついている。

私は私塾とフリースクールをやってきました。現実に子どもを育て、教育する立
場としては、このネガティブな自己評価でうずくまってしまった子どもたちに、
どう対応するかでした。何かを学べる状態にいる子のほうが、少ないのです。

現代の他者評価しかない世界で、子どもを無気力にも浅薄にもせずに育てるのは、
難しいように思えます。

しかし、解決は実は簡単なのです。
まず、子どもを無条件に認める。それだけなのです。そこから、すべてが始まっ
ていきます。
だれでも、どこでもできます。」







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