咀嚼中。
多分私の中に何かが欠けている。
当たり前のことなんだろうが、この文脈でいう「理解」をするならば、相手と自分は同じ目線の高さに立った、同じ世界の住人ということになる。
自分の中に、ベールの向こうの観測者であるという姿勢があることが浮き上がってくる。
おそらくは宇宙人的性質、或いはただの怖がり。
それは観測と再現出来ることしか扱えない科学の限界が、最終的には主観でしか届き得ない非二元真理に触れられないように、参加しないことが経験の限界を狭めている。
であればやはり着地の時か。
理解は世界に触れて、互いに変わることを許す経験なのだろう。
そして生きることはどんなに一体を強く求め希えども、人は完全には一つにはなれないという孤悲の痛みが、「理解」を通して愛に昇華していくための過程。
という自身のための覚書。
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