家族と甘え


実家に戻ると未だに服装を注意される。
乞食みたいな靴だのなんだの言われて苛立つあまり、うるさいよと反論して家を出る。

なぜ人は勝手に期待し、勝手に近づき勝手に離れて行くのだろう。
ただ自分であろうとする者を、勝手に拡大あるいは縮小して、自身の投影した夢を他人に映し続けて顧みない。
ということを自分もしているのだろうね。

家族は自由に離れられないから尚更。
結局他人にはしないことをするならそれは甘えだ。

例え自分に向けられたものであったとしても、他者の評価は彼らの世界に属している。
優しく自立してあろうとするなら、彼らの見ているものを自分事と受け取らず、そっと彼ら自身に還すべきだった。

出した言葉は戻らない。
それでも変わらず受け入れてくれることに甘えているのは自分の方だ。

そういうものに感謝出来るような自分でいられたら、もっと大きく優しく居られるような気がする。
きっと家族というのは未熟な自分の練習場なのだ。
それが愛でできていないわけがない。






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